視線を合わせて信頼感を得よう(親和欲求)

子供のころ、親や教師から「人の目を見て話しなさい」といわれたことかないだろうか。それは会話をするときに相手の目を見るのがエチケットだと教えると同時に、子供らしいいい逃れや小さな嘘をチェックするためだったのかもしれない。

「目は心の窓」というように、さまざまな感情の表れやすいところだ。後ろめたい気持ちや怯え、怒りや喜びも目に表れる。気の弱い人は、自分の気持ちを悟られまいと視線を合わせないことが多い。

会話以外の場面でも視線をよく合わせる人は、いつも誰かにそばにいてほしいという「親和欲求」の強い人。人との触れ合い、つまりコミュニケーションをつねに求めているといえる。親和欲求は一般的に男性より女性のほうか強いといわれる。確かに女性のほうが会話中も視線を合わせる頻度が高い。

相手と視線を合わせる意味は、まず相手の関心を引き、話のきっかけをつくることにある。自分が話したいという気持ちと、相手の話や相手に対して興味があるということを訴えているわけだ。

相手が視線を合わせてくれないと、話のきっかけがつかめないばかりか、自分の気持ちや存在を無視されたように感じる。話すときには相手の目を見るのがエチケットといわれるのは、そういう意味からでもある。

アメリカで行われた実験によると、視線をよく合わせた場合と合わせなかった場合とでは、同一人物であるにもかかわらず会話した相手からの評価がまるで異なるという結果が出た。

視線をよく合わせて話した相手からは、快活で親しみやすく、信頼できる人と評価されたのに対し、視線を合わせなかった相手からは、不機嫌そうで近寄りがたい感じなどの評価がなされた。

この結果を見ると、「俺は気が弱いから、人と視線を合わせるのは苦手なんだよ」などといっていられないのではないだろうか。ただでさえ、男性は視線を合わせる頻度において女性より分が悪いわけだから、男性はもちろん、相手が女性ならなおさら意識的に視線を合わせるようにするとよいだろう。

たとえ相手に気後れすることがあっても、視線を合わせて話すうちに互いの理解は深まっていく。自分を受け入れてくれた相手に対しては、温かい気持ちか湧いてくるものだ。それが互いの信頼感につながる。ただし、どんな人でも、あまりにジーッと見つめられると、心中を観察されているようで気詰まりに思う。10秒以上見つめるとたいていの人が不快に感じることも実験でわかっている。ほんの数秒ずつでよいのだ。対面しているときは相手の視線をしっかりと捉えてみよう。

— posted by Mike at 11:24 am